天璋院篤姫は日本女性の鑑である。篤姫の人生に生き方を学ぶ。

篤姫テスト(2)

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篤姫テスト(2)斉彬は薩摩の殿様か?

島津藩主の絶大なる権力

篤姫の実父、島津忠剛(ただたけ)は、藩主の一言で恐れおののき自ら謹慎して沙汰を待つということがありました。
ドラマ「篤姫」では、長塚京三が演じる忠剛が、謹慎でひげ面を表していましたね。

篤姫の生家である今和泉島津家は、島津本家の分家であるとはいえ、藩主と家臣との隔たりは、まことに大きなものがあります。

島津藩のように大藩ともなりますと、藩主の存在は雲の上のようなもの。

それをふまえて、篤姫テスト(2)にチャレンジしてみてください。

篤姫テスト(2)斉彬は薩摩の殿様か?

英明の誉れ高い、島津斉彬が藩主の座に就いて、ほっとした肝付尚五郎(瑛太)や西郷吉之助(隆盛)が、斉彬を褒め称えます。
ところが、彼らの言葉遣いにおかしなところがあります。それはどこでしょう?

西郷:我らが殿様は、まっこと英明なるお方でごわす。
肝付:左様、天下にならびなき、殿様でごわす。

【写真は、夕日に染まる桜島】

どこがおかしいか、わかりましたか?

わからなかったお方は、大名についてお勉強してみましょう。

島津家は国持大名

一万石以上を大名というのですが、そのうち十万石に充たない大名を、小大名といい、十万石以上を大大名といいます。

また、大大名の中でも、一国以上を領有する大名を、国持大名と云いました。

島津家は、薩摩と大隅(おおすみ)の二国を領有する国持大名であり、加賀百万石に継ぐ、七十七万石の大大名であったのです。

殿様という呼び方は、小大名および一万石以下の直参旗本などにも用いられ、ご存じ旗本退屈男、早乙女(さおとめ)主水之介(もんどのすけ)なども大名ではありませんが、お殿様と呼ばれていました。

国持大名の藩主は、殿様とは呼ばず、太守(たいしゅ)様と呼ぶ習わしがありました。

従って、西郷や肝付が 

  我らが殿様は・・・

と述べることはありませんでした。

宮尾登美子の『天璋院篤姫』でも、島津藩主を太守様と呼んでいますね。

ついでに、

  • 薩摩の国・・・桜島の西側
  • 大隅の国・・・桜島の東側

を憶えておきましょう。
上の「夕日に染まる桜島」の写真は、大隅の国から見た桜島ですね。


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